可愛かった子犬もやがては年老いて体力は弱まり、衰退のきざしが見えてきます。
しかし、家族への献身の気持ちは変わりなく持ち続けているのです。
老犬のジョンは、それを証明してくれました。
ジョンはチョコレート色の大きなラブラドールーレトリーバーでした。
彼の主人フレッドは東海岸に住んでいたのですが、仕事の関係で都会へ戻ることになりました。
その後まもなくジョンが2歳の頃フレッドは結婚し、フレッドと妻のクララのあいだに最初の子どもメリッサが生まれました。
ジョンは都会の家庭犬になりました。
彼は都会暮らしのあれやこれやを学び、6年経つうちにさらにふたり男の子が増えました。
スティーヴンとダニエルです。
ジョンの仕事はおもに子どもたちと遊ぶこと、主人のフレッドとクララのお供をすること、家のまわりで妙な音がしたり、おかしな気配がしたら、すぐに警告を発する忠実な見張りの役目をすることでした。
時が流れ、ジョンは11歳になりました。
ラブラドールーレトリーバーとしては老犬になります。
動きは緩慢になり、ソファに跳び乗るのもあきらめていました。
以前より眠ってばかりの時間が増えましたが、子どもだちとはまだ少しのあいだ跳ね回って遊び、それを自分の使命と考えているようでした。
走り方は遅くなり、ボールやフリスビーを迫いかけて高く跳ぶこともできず、疲れやすくなりました。
耳も遠くなり、反応も鈍く、昔、覚えたたくさんの命令にもあまり確実に応えられませんでした。
それでもまだ以前と変わらないところはありました。
散歩の時間はちゃんとわかって、午後の3時ごろになると必ずうれしそうにドアの近くに寄り、子どもたちが学校から帰るのを待っていました。
夜は居間の真ん中の床に寝て、きまって1時間おきぐらいに家の中を見回りました。
子どもたちの部屋に順番に鼻を差し込んで匂いを嗅ぎ、フレッドとクララの様子をたしかめてから、また居間に戻るのです。
ある夏の夜、ジョンはなにかが絶対に変だと感じて起き上がりました。
家の中には煙がたちこめ、窓や部屋のドアが開いていなければ、そこらじゅうに有毒ガスが充満していたにちがいありません。
ジョンは関節炎ぎみの身体で、できる限り急いで主人のフレッドとクララの部屋に走りました。
吠えてもふたりはまだ起きようとしません。
そこでジョンは痛む脚を引きずりながら必死の努力でベッドに跳び上がり、フレッドの胸に前足をのせて大きな声で吠えました。
フレッドは驚いて目を覚まし、すぐに煙に気づいてクララを起こしました。
フレッドとクララは幼いふたりの兄弟の部屋に走り、ひとりずつ抱きかかえると、いまや炎がめらめらと燃えさかる家からやっとの思いで外に逃れました。
ふたりともメリッサの名前をくり返し叫びました。
彼女はもう9歳になっていたから、物音や騒ぎに気づいて目を覚まし、家の裏手にある寝室から飛び出して来るだろうと考えたのです。
ふたりが前庭の芝生にたどり着いて振り返ると、家の大半は火に包まれていました。
消防車が到着したがメリッサの姿はどこにもありません。
フレッドは家の中に戻ろうとしましたが、はだしの足では熱と炎に耐えられず、やむなく引き返しました。
ジョンは、まだ家の中に居ました。
老いた頭のどこかで思い出して数をかぞえ、自分の使命がひとつ足りないと考えたのでしょう。
彼はよたよたとメリッサの部屋に入り、煙に巻かれ、びっくりして泣いている彼女を見つけました。
ジョンは吠えながらドアのほうへ誘導しようとしました、メリッサには理解できなかったのか、混乱しすぎてどうすればいいかわからなかったのでしょう。
そこで彼女の寝間着のふんわりした袖をくわえ、ドアのほうへ引っ張り始めました。
正面から出ることはとてもできなかったので、老犬は向きを変えると、おびえきった少女をなかば引きずるようにして裏口のほうへ連れて行きました。
まわりじゅうに炎が渦巻く中で、彼らは裏の網戸の前にたどり着きました。
網戸には簡単な掛けがねがついているだけでした。
若くて敏捷な時代であれば、ジョンは網戸に体当たりして穴をおけることもできたでしょうけれど、そのときは越えがたい障害でした。
メリッサは呆然と立ちつくすだけで、力にはなりません。
ジョンはくわえていた袖口をいったん放して、うしろ脚で立ちあがり、そして網戸の掛けがねを鼻で押し上げました。
数年前、これをやってこっぴどく叱られたことがあります。
若かった彼は、裏庭に入りこんでは小さな野菜畑を堀り返す厄介なフォックスーテリアをこらしめるために、こうやって裏口を開けては跳び出したのです。
ジョンの手際は昔のように器用にはゆかず、掛けがねを押し上げながら皮膚を破きました。
それでも懸命に続けたおかげでかんぬきがはずれ、ドアが開きました。
ジョンはもう一度メリッサの袖をくわえると裏庭の真ん中まで引っ張ってゆき、そこで彼女を放すと火傷した前足をなめ始めました。
しばらくして消防士たちがやって来ました。
メリッサはジョンの首を抱き、網戸の掛けがねをはずすときに怪我をした鼻面をなでながら、しくしく泣いていました。
ジョンは年をとり、以前よりも動きが鈍く反応も不確かでした。
それでも彼は家族を守るため炎に立ち向かい、その知能と問題解決能力をひたすら主人の安全と幸せに捧げきったのです。
老いすなわち無能、役立たず、疲弊ではないという証明をしたのです。
ジョンはその夜、偉人な知能を発揮しました。
彼はなにかがおかしいと考え、眠っている主人を起こして驚告を与えるという問題を解決しました。
彼は子どものひとりが欠けていると判断し、彼女を家から運び出すという難題に答えを出しました。
正面の戸口が火に包まれていると察知して別の解決法を見つけ、掛けがねのはまった裏口のドアを前にすると、脱出を邪魔する最後の問題を解きました。
彼の群れを構成する5人の人間、彼の家族であり主人である人間たち全員が、この老いた脳の情報処理と問題解決能力のおかげて命を救われたのです。
『デキのいい犬、わるい犬』スタンレー・コレン著より引用
長年連れ添い家族をよくわかっている老犬であるからこその活躍ですね。